鹿の舟のいま

吉野和紙

柔らかい手触り、温かくしなやかな風合いの吉野和紙。

 

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およそ1300年の歴史を持つ吉野和紙は、

代々手漉きの技法を守り、今へと受け継がれてきました。

 

 

良い和紙を作るには、美しい空気と澄んだ水の、自然の恵みが秘訣です。

自然豊かな吉野の東に位置する国栖の里でも、

古くから和紙作りが盛んに行われてきました。

 

 

吉野和紙には様々な由来がありますが、大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)が

吉野にいた際、村に伝えたとされる言い伝えがあります。

 

大海人皇子は、兄である天智天皇から皇位を継いでほしいと話を聞いた際、

皇位継承を断る理由で吉野に出家をしたいと願い出ました。

 

吉野への仏道の修行が許された大海人皇子は

家族と数十人の供と吉野の山中に身を隠し、

その際に、国栖の村民に紙漉きを勧めたといわれています。

 

その後、明治中頃までは国栖の里を中心に原料の楮(こうぞ)が栽培され、

約半数の家庭で和紙作りが行われていました。

 

戦争や洋紙の普及により和紙の需要は減り、

吉野でも和紙漉きを仕事にしている家は数軒のみとなりましたが、

和紙の良さが見直され、今でも和紙作りの伝統が残ります。

 

和紙が完成するまでに48の工程が必要とされています。

 

楮を育て、刈り取った後、蒸しや剥ぎ、晒し、天日干し、紙素打ちなど、

工程の一つ一つに真摯に向き合う職人さんによって多くの手間と時間をかけ、

今でも良質な和紙が作られています。

 

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和紙作りで多くの方が想像される漉きは、これらの行程を経て行われます。

 

 

楮に白土を混ぜて漉くと、紙の収縮を防ぎ虫が喰わないため保存性が良くなります。

表具裏打ちの和紙として古くから使われていました。

 

この和紙を「国栖紙」と言います。

宇陀の紙商人が売って回っていたため、「宇陀紙」とも呼ばれています。

 

冷たい水で引き締めることで良い和紙が作られます。

吉野川の冷たい清流が吉野和紙をより良いものに仕上げてくれるため、

宇陀紙は冷え込みの激しい冬に集中して作られています。

 

昔ながらの製法で漉く木灰煮宇陀紙は文化財の修復紙として、

日本の文化財だけでなく、海外の文化財の修復にも使用されています。

 

時間を経ても褪せない丈夫さ、ねばりの強さが文化財を守ります。

 

 

近年では、草木染や吉野杉の内樹皮を混ぜた和紙も作られ、

和紙の種類も増えています。

 

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経書や書画用としての和紙、

壁紙や障子紙などの室内の設えに用いる和紙、

昔の番傘やインテリアの灯りなどの雑貨になる和紙、

表装や漆塗りなどの伝統を守り、職人さん同士の想いを繋ぐ和紙、

 

それぞれの用途によって作られ、使われています。

 

 

「観光案内所 繭」では国栖紙と和紙用箋を取り扱っています。

 

 

吉野和紙は、職人さんの技と想いの詰まった、奈良を代表する工芸品です。

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